"イノ"から"クルマ"へ
4月20日にかみつけの博物館のかみつけ塾
梅沢重昭さんによる
「"イノ"から"クルマ"へ-井野川流域の古代社会の変遷」
を聞いてきました
天神山古墳(太田)、御富士山古墳(伊勢崎)、不動山古墳(高崎 岩鼻)は相似形
太田、伊勢崎では、引き継がれる前方後円墳はなくなり、帆立貝式古墳へ
一方、井野川流域では、その後も前方後円墳が作られていき、
不動山古墳、二子山古墳(原子力研究所内にあった)の綿貫古墳群が、
5C後半に保渡田古墳群へ移り、このときに上毛野が成立
保渡田古墳群では、3代続き、再び観音山古墳の綿貫古墳群へ
井野川はあまり大きくなく利用しやすかったであろう
日本書紀に出てくる豊城命の系列が上毛野、車持氏(クルマ一族)
車持氏は筑紫国で宗像三神の民を奪ったことで、この地を追われている
保渡田周辺には、胸形明神、車持若御子明神、車持大明神などの神社が存在
二字改定令で"車"→"群馬"としたのも、馬を扱う車持氏が付けたであろう
倭名抄では、サノ、オノなどの・ノの地名があるが、
クルマとなった地域は、もともとイノと呼ばれていたが消えてしまったのではないか
現在は、井野川という河川名としてのみ残っている
梅沢重昭さんによる
「"イノ"から"クルマ"へ-井野川流域の古代社会の変遷」
を聞いてきました
天神山古墳(太田)、御富士山古墳(伊勢崎)、不動山古墳(高崎 岩鼻)は相似形
太田、伊勢崎では、引き継がれる前方後円墳はなくなり、帆立貝式古墳へ
一方、井野川流域では、その後も前方後円墳が作られていき、
不動山古墳、二子山古墳(原子力研究所内にあった)の綿貫古墳群が、
5C後半に保渡田古墳群へ移り、このときに上毛野が成立
保渡田古墳群では、3代続き、再び観音山古墳の綿貫古墳群へ
井野川はあまり大きくなく利用しやすかったであろう
日本書紀に出てくる豊城命の系列が上毛野、車持氏(クルマ一族)
車持氏は筑紫国で宗像三神の民を奪ったことで、この地を追われている
保渡田周辺には、胸形明神、車持若御子明神、車持大明神などの神社が存在
二字改定令で"車"→"群馬"としたのも、馬を扱う車持氏が付けたであろう
倭名抄では、サノ、オノなどの・ノの地名があるが、
クルマとなった地域は、もともとイノと呼ばれていたが消えてしまったのではないか
現在は、井野川という河川名としてのみ残っている
